新緑の塩沢町を歩く
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今日は、いつもとちょっと違って、地元塩沢の素晴らしい景観をご紹介しましょう。ご案内をするのは、当店の「電子番頭」の大前です。
五月初めの素晴らしい陽気に誘われて、金澤屋酒店から散歩に出ることにしました。
旧街道筋にある酒店から、南に進みます。正面方向にまっすぐ進むと、越後湯沢に出ます。午後2時に出たので、小学校から低学年の子供たちが帰ってくるのに出会います。ランドセルを背負った、小さな子供たちが、たんぽぽの花が咲く歩道を一列になって歩いてきます。今年の新入生たちでしょうか。
10分も歩くと、町並みが切れ始め、田んぼになってきます。田の土が掘り返され、水が入れられています。真っ黒い土が太陽の光を吸い込んでいるのでしょうか。表面に反射する太陽のせいでしょうか。「水ぬるむ」という感じがします。
家はどれも大きく新しい建物になっています。雪対策で、家の基礎が大変高くなっています。背丈以上もあるコンクリートの頑丈な基礎は、そこまで冬場雪に埋もれることを示しています。
右手に折れて、町を南北に突き抜ける高速道路と、在来鉄道の上越線をくぐって、山の方に向かうことにしました。鉄道をくぐるトンネルは、車一台がやっと通れるかどうかの幅しかありません。昔のままの道のようです。
行き先のあてもないので、舗装道路を離れて、農業用水路に沿ったあぜ道に入りました。幅2メートルほどのふかふかの土の道です。緑の草がいっぱい芽吹いています。ちょっと濃い色あいが目につきました。紫色の小さな花が揺れています。高さ5センチほど。スミレでしょうか。よく見るとスミレの株があちこちにあり、そのほかにも白い花を付けた同じような高さの草もあります。さらに小さな黄色の花を無数につけた群落もあります。白い数ミリの花をいっぱいにつけたじゅうたんのような草もあります。
植物図鑑があっても、私に全部の名前を知ることができるでしょうか。とにかく花だらけ。用水路の水のぱしゃぱしゃ流れる音が耳に入ります。花を踏まずに歩くのは大変難しい作業になってきました。
それに、花さえ踏まなければいいのでしょうか。葉っぱは踏んづけていいのか。などと迷いながら、歩きます。
正面は、うっそうとした杉の森です。暗い緑が、足元の春らんまんとは少し違った印象を与えます。無表情というか、無愛想というか。 その森の中を登って行く坂道があります。「栃窪(とちくぼ)」という山の上の集落に続く道です。散歩の予定は、この当たりを右に曲がって、山のふもとを大きく回ってまた町に戻るつもりでした。すでに20分以上歩いています。
ちょっとかん高く「グア、グア」という鳴き声が聞こえます。カエルでしょう。水を張っただけの田に、カエルがあちこちで鳴いているのです。ツバメが大きく舞っています。もう南からやってきたのでしょう。太陽の光が空にも地にも満ち満ちています。春の陽気に誘われる、というのはこのことでしょう。山に向かうことにしました。帰りは何とかなるでしょう。
つづら折れの自動車の道は、車には快適でしょうが、私には危険です。大型のダンプカーやら、ゴミの収集車やら、大きな四輪駆動車が次々に走り抜けます。自家用車はどれもぴかぴかに光っています。不景気だといわれる日本ですが、家も車もずいぶんと立派になったものだと思います。
車から逃げようと、つづら折れの道をまっすぐに登る小さな踏み跡を探しました。何とか歩けそうなところは、森を突っ切って、次の車道まで一気に歩くことにします。車の道は、右に左に何度も行き来しながら、段々と高度を稼ぐのですが、人間には少々の急斜面もへっちゃらです。杉の森の中ですが、それほど下草が茂っていない場所は、歩くのはそう難しくはありません。
ふとその下草を見ると、白い茎がいっぱいに並んでいるではないですか。町の周辺ではもうスギナばかりになっていたのですが、ここではまだツクシがいっぱいに生えてます。だれも取らないからでしょう、あたり一面にツクシがびっしり生えています。木立の間からのちょっと西に傾いた太陽の光を受けて、ツクシが乳白色に輝いています。ツクシの茎を通った光の軟らかで暖かみのある白い色が、森の中に別世界を作り出しています。
杉木立の間を抜け切る手前、車道脇に、またきれいな花がありました。今度は木の花です。低くて細い木ですが、枝のすべての先に綿毛のような花を咲かせています。長さ5センチほどでしょうか。1センチ足らずの小さく細長いめしべだかおしべだかをびっしり生やしているように見えます。薄い緑色の葉をつけていますが、これもまだ萌え出したばかりのか細さです。わずかな風でゆらゆらと揺れて、木全体が花に包まれて踊っているようです。
すぐ先の、杉とは違った針葉樹の巨木が、黄緑色にすばらしく輝いています。太陽の光が向こうからくるだけではなく、なんだかきらきらした感じです。そうです、こんな高い場所にも池があったのです。木の向こう側にある水面が太陽の光を反射させて、下からも若い緑を浮き上がらせていたのです。さわやかな風が通り抜けますが、水面にはさざなみ一つ立っていません。水田に水を運ぶ貴重な水源は、小さな浮き草の芽を浮かべて静かにたたずんでいます。
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あたりは全部、水田になってきました。杉の森の向こうはまた田んぼが広がっていたのです。一枚一枚の田が、数十センチから数メートルおきに段々と高く高くなっていく田んぼです。田んぼの幅は、時には数メートル。山の斜面に沿ってその形はみんなやわらかな曲線を描いています。表面が起こされただけの田。そこに水を張った田。耕運機で土を砕いてきれいに代かきが終わった田。地図の等高線を描くように、ずっとむこうにまで田のへりが続き、その遠くで、小さな帽子がぽつりぽつりと動いている。ブォーンという耕運機のエンジン音が響いています。チチチチというヒバリのさえずりも聞こえます。
車道沿いに田んぼを一枚一枚数えるようにして登っていきます。気がつくとずいぶん高く上ってきたことが分かります。ずっと下のほうにまで田んぼが連なっていて、そのはるか向こうの平地に、家々が密集した市街地があります。
塩沢の市街地は、左右に長く伸びています。右手がスキーリゾートが集中することで知られる湯沢町です。こちらの方が狭く、高くなっています。左の方にいくにつれて、谷が開けてゆきます。谷の中央には、魚野川が流れています。魚野川によって開けたのが、この谷というわけです。
谷底の平地部分は、幅数キロに過ぎません。そこに、びっしりと田が連らなっています。「魚沼コシヒカリ」の産地です。
回りにある棚田とは違って、谷底の田はよく整理されていて、みんな真四角になっています。数軒の家が集った小さな集落が、田に囲まれているのも良く見えます。集落や田のところどころには、何本かの大きな杉の木が真っ直ぐに伸びています。背後には、白い雪をいただいた標高二千メートル級の巻機山が屏風のようにそびえています。山麓には杉を中心とした濃い緑色が、途中からは淡い若緑の落葉樹が、そして中腹以上には潅木や草からなる別の淡い緑色と雪のまだら模様が広がります。
まるで山々を背にした箱庭をのぞき込むかのような美しい光景です。日本的というよりは、スイスかどこだかの西洋的な美しさを感じさせる光景です。私はうっとりとしてしまいます。
このような光景は、何年前から続いているのでしょうか。
坂道の途中に「歴史案内板」があり、戦国時代の武将上杉謙信が根城とした高田から関東に繰り返し出兵したおりに、この坂道を何度も越え、その目印として当時は珍しかった杉を植えたとありました。
高野の家に伝わる日本刀は、江戸時代の優れた刀剣家の作といわれます。「毘沙門様」としてこれも代々伝えられてきた仏像は、十一世紀の作との研究論文が出されています。とすれば、九百年も千年も前に、この地でコメを作り、酒を仕込んできた人々がいたのではないか。その人々が見た春先の光景は、高速道路や鉄道こそなかったろうが、今目の前に広がる景色とそんなに違うことはなかったのではないか。
不思議な静けさの中に私はいたように思います。
毎年毎年、人々は田に水を入れ、泥をかき回し、イネを植え付け、刈り取り、暮らしてきたのでしょう。私が今からコメの作り方を習っても、何十回か作れば、もう命は終わるでしょう。しかし、このコメ作りの作業は、延々と何百年、あるいは何千年もこの地に伝わっているのです。
私は、散歩のついでに、デジタルカメラを持ってぶらぶらと写真を撮っています。きっとこのデジタル画像は世界のどこからでも見てもらうことができるでしょう。
しかし、何百年も何千年も繰り返されてきたこの光景の前で、何を語れるのでしょう。産業革命も、情報革命も、確かに地域の姿を変えたでしょうが、この光景は今というべきなのか、過去というべきなのか、過去からずっとつながるひとつの文化というべきものなのか。
環境との調和と私たちはいま考え始めていますが、過去何千年もの間に育み受け継いできたこの光景、あるいは文化に対して、「環境にやさしく」などと簡単にいうことができるのか。
光景に圧倒されてしまいました。
ガサガサッという音がして、やぶが揺れました。田んぼの端の急斜面から谷を見渡していた時です。びっくりして身をこわばらせたら、大きなリュックサックを背負ったおばさんでした。斜面に芽を出した高さ30センチもあるワラビを次々に手折っていきます。「どこから来なさったんかね」と日焼けした笑顔が訪ねます。「下から上がってきました」というと、「私もさね。下から来て、ワラビを取らせてもらっているのさ。ぜんまいはもう終わったからね」。
そう言えば、自家用車が結構頻繁に行き来しているのは、ほとんどが似たような作業着姿のちょっと高年齢の人々です。みんな山菜を取りに山にどんどんと入っているのです。 「一本杉」というスキー場の脇を通りぬけます。これも上杉謙信ゆかりの大きな杉があったので付けられた名前だそうです。車道を離れた電話線と電力線が田んぼの中をまっすぐ上に向かって進んでいきます。その先にあるのが「栃窪」です。もう午後4時前。金沢屋を出てから2時間近くになりました。
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「栃窪温泉」というブリキ板にペンキで大書きした看板が、集落の入り口にあります。数軒の温泉宿がありますが、まわりの家よりはちょっと大き目ですが、民家とあまり変わらぬ造りです。一風呂浴びようかと迷いながら、数十軒の集落を歩きます。小学校の分校は木造二階建て。小さな校庭です。雪の時期には数メートルの雪の壁に包まれていたのがうそのように、集落は見通しがよく、小ささを余計に感じます。あっという間に集落を通り抜けてしまいました。「通行止」という看板が、道路の脇にあります。冬の間、除雪が入るのはここまで。道路は3月末になっても1メートル以上の雪に覆われています。
この集落は、かつては冬の間、まったく下界から閉ざされたといいます。金沢屋の親父高野信義さんも、雪の上を泳ぐようにしてそりを引いて日本酒を配達したことがあると言っていました。今の季節、歩いても一時間余りで登ることはできるます。これが雪であったらどうでしょう。除雪車もない時代。人々は自分の足だけで生活するほかなかったでしょう。
高野信義さんから数えて七代さかのぼった先祖に鈴木牧之という人物がいました。彼は、江戸時代に雪国の暮らしを克明に観察し記述した「北越雪譜」という本を出版したことで知られます。雪の研究資料としても国際的に知られます。その中では、雪は魔物として扱われています。行方知れずになる話、道に迷って死んでしまう話などであふれています。
人々が戦い続けた雪を、受け止められるようになったのはこの数十年のことです。ずっと古くから伝わってきたコメ作りがある一方で、私たち人間が得た新しい力。このバランスが課題でもあるのでしょう。
何と村外れの杉林には、雪が残っているではないですか。
表面が黒ずんではいますが、雪が厚さ数十センチになっています。すっかり初夏の装いになっている谷底とこことは、ずいぶん気温が違うのでしょう。杉の木は厚い雪に押さえ付けられていて、枝は下向きに大きく曲がり、あるいは折れ、雪の上には濃い緑の枝が無数に散らばっています。杉の根元も雪の重さで繰り返し押されて、谷底に向けて「J」の形に曲がっています。
この先にもまだ田があります。ここは田の隅に雪が残っていて、まだ代かきには入っていません。季節が違うのです。森の中、斜面の一角、谷沿いの平地、あらゆる場所に田があります。斜面以外はみんな耕されているといってもいいでしょう。遅く春が来、早く冬が来るこの高い場所で、どのようなコメが出来るのでしょうか。
下の方から響く田起こしの耕運機の音を聞きながら、さらに車道を進んでいくと、目の前を大きな鳥が低く横切っていきました。ニワトリよりも大きく、長い尾を持っています。真っ黒い体なのに、白と緑と赤の模様が目に残ります。キジでしょうか。
さらにゆくと、もう下界の音は聞こえなくなり、鳥のさえずりでいっぱいになります。ウグイスの鳴き声も聞こえてきます。知らない鳥の鳴き声があちこちから響きます。高く戯れるように舞っている鳥もいます。低い木々は、小さな桜のような花びらを咲かせ、やぶの奥には真っ赤な花を付けた緑の葉も見えます。「通行止」と大きく書いたゲートが道をふさいでいます。尾根筋を走る道路は、まだ閉鎖中です。尾根の反対側に下る道は通ることができます。こちらは、十日町市につながると、交通標識にあります。ここが魚野川の沢筋と隣の沢筋を分ける尾根のてっぺんなのでしょう。栃窪峠といわれる山越えの場所まで来てしまったようです。下からは300メートルほど登ってきたでしょうか。
東には塩沢の町の向こうに、巻機山だけではなく、その左に八海山がそびえます。雄大な景色を数時間の散歩で見ることができるとは、驚きでした。
「山登り」と勢い込まなくても、陽気に誘われた散歩でここまで楽しめるとは、まったくの予想外でした。こんなに素晴らしい体験は、ごみごみした都会の散歩では出会えない贅沢だと思いました。帰りには、温泉に入って、山菜料理と地元の銘酒をいただければ、最高の贅沢になるでしょう。きっと地元の古くからの話を聞かせてもらうこともできるでしょう。
都会からちょっと離れて、そんな一日を過ごすだけでも、いろんなことを考えられる豊かな旅になると思いました。季節が違えば、また違った表情があるでしょう。
次は、どっちに向いて歩いてみましょうか。
金澤屋酒店についてご質問などがあれば、直接お電話(0257-82-1135)をいただくか、shop@kanazawaya.comあて電子メールをお送りください。住所、氏名、電話番号を明記して下さると助かります。
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